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青山盛月堂ブログ!!

Aoyama-seigetsudo blog
青山盛月堂のコンセプト
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    青山盛月堂 創業 当時からのコンセプト
    三代目 修伊 が語る 子供の頃から聞かされていた事、今感じている事を箇条書き形式で書き込んでいきます。
    ・第一に一切の添加物を使用しない。
    これは、80年前から変わらない大切な「青山盛月堂」のコンセプトのひとつです。創業者 井豊孝は、大の釣り好きで 自然の海をこよなく愛していました。釣り好きが高じて、釣りの本も二冊も出版しています。
    「釣りバカ日誌」のハマちゃんのように、夏 暇な時期になると日本全国どこにでも釣りに出かけていたのを覚えています。セスナをチァーターして空から海の写真を撮り、磯釣りのスポットを研究しておりました。
    夏 和菓子は、日持ちが悪くなります。その為に普通は、認められている添加物を使用して、それを防ごうとします。しかし、それは、結果、少なからず味に影響が出、また人体にも影響を与えるものだと思っております。
    だから、当店は、創業以来、無添加を守り続けております。
    祖父が私によく言った事があります。「お前が店を継ぐようになって、夏 商品の鮮度が落ちることになっても、絶対に添加物を使ってはならん」
    「添加物を使用するんだったら、店を思い切って休みなさい。あれこれ余計な事をするのもやめなさい。それだったら夏は、釣りでもしなさい」と云った事を今でも時々思い出します。
    現在は、無添加で真空パックして 日持ちするようにしていますが、当時は、そんな技術はありませんでした。
    | 青山盛月堂 PROFILE | 16:07 | - | trackbacks(0) | - | - |
    青山盛月堂のあゆみ
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       社歴
       
      ・屋号 青山盛月堂
      ・本社 大阪府堺市南旅籠町東
      ・代表 井豊孝
      ・創業 昭和元年(1926) 4月

      ・上記の記述通り 創業
      ・第二次世界大戦中 創設者 井豊孝は、中国 太連に渡る。
      ・一時 日本国内での販売を中断する。
      ・外地の日本人においしい甘納豆を提供しようと考え、甘納豆店を創業。
      ・後に日本陸軍の目に留まり、関東軍の非常食用として甘納豆を使えないかと、依頼を受ける。
      ・関東軍と協力して 太連工場を設立。
      ・現地 中国人を日雇い雇用する。
      ・当時、中国には、甘納豆は、勿論存在していなかった。それと、当時の中国の人々は、あずきの餡は、どちらかと言うと嫌いであったそうだ。
      ・私(三代目社長)が、今から約25年前に横浜の中華街に行った時、かりかりの甘納豆を見つけた。それを見て 祖母から聞かされた話を思い出した。当時甘納豆は、中国大陸には、存在せず、技術もなかった。作り方を教えたのは、祖父である。だから今中国にある甘納豆は、お爺ちゃんが指導し教え伝えたものであると・・・
      ・非常食用として考案された「甘納豆」だから 横浜で見た「甘納豆」は、
      当時の伝承通り からからに乾燥した「甘納豆」であったのだ。
      ・現在のしっとりとした「ぬれあずき」とは、異なるものだ。
      ・関東軍に「甘納豆」を提供したのち、終戦前に家族全員命からがら無事帰国する。
      ・帰国後、日本での販売を開始しようとするが、1945年(昭和20年)
      7月10日堺大空襲で店舗が全焼。家具・調度品等は、疎開させていたのですべて無事であった。これもよくお客様に質問されるひとつで、空襲にあったはずなのに、何故古い調度品が店にあるのか?と・・・。
      ・終戦後、堺の老舗和菓子屋五件と協力して、国からの配給のみで販売を開始する。
      ・後、堺大空襲で全焼した店舗の建替えに着手。
      ・岐阜から大工を呼び寄せ、木曽の檜を使用して建替える。
      ・店舗を南旅籠町東から現在の宿院町に移転。
      ・阪堺電車(ちんちん電車)から工場の敷石を譲り受ける。
      ・現在も工場の敷石は、戦前の電車の敷石を大切に使用しています。
      ・戦後 新生 株式会社 甘納豆老舗 青山盛月堂 誕生!
      ・戦後の復興とともに爆発的な人気であった。
      ・当時「人形もなか」は、一日1000ヶ完売であった。
      ・数え切れぬ 受賞の数々・・・。
      ・第14回 昭和32年 全国菓子大博覧会 「甘納豆」 金賞 受賞
      ・第15回 昭和36年 全国菓子大博覧会 「むら雲」有功大賞牌 受賞
      ・第19回 全国菓子大博覧会 「ぬれあずき」菓子産業大賞 受賞
      ・第20回 全国菓子大博覧会 「ぬれあずき」全菓博覧会大賞 受賞
      ・以後 各賞 受賞を辞退。
      ・豊孝は、全国生菓子組合・甘納豆組合・等 理事として勢力的に活躍。
      ・菓子博覧会 名誉総裁 高松宮 宣仁親王 様 と交流を深める。
      ・昭和天皇 様に「むら雲」を献上。
      ・また各皇族方 様に御用達にされる。
      ・特に「むら雲」は、昭和天皇に好まれ 「むら雲」が手元に届くのを
      待ちわびる程 好まれました。
      ・堺観光協会 現 堺観光コンベンション協会 設立当時より
      ・「むら雲」「甘納豆」は、推奨品 となり現在に至る。
      ・昭和48年 2代目 青山盛月堂 代表取締役に井裕司 就任
      ・昭和60年 3代目 青山盛月堂 代表取締役に井修伊 就任
      ・現在も三代目井修伊が就任中。
      ・平成10年 秋 ABCテレビ「ワイドABCで〜す」。でTV初公開、生中継で甘納豆の工場を公開し、一躍有名になる。
      ・TV・新聞・雑誌・等 常に紹介されている。
      ・但し 意にそぐわない取材は、お断りさせて頂いております。
      ・平成18年 春 ABCテレビ「ごきげんブランニュ」で紹介され、
      爆発的人気で「むら雲」は、毎日完売の状態です。

      ・以上が 簡単に走り抜けた 青山盛月堂 の80年の歩みです。






       
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